特許制度と研究開発型中小企業のイノベーション

 

東京大学先端科学技術研究センター&

経済産業研究所 元橋 一之

 

(要約)

 

特許制度は、生産や販売に関する経営リソースに乏しく、研究開発にその活動の重点を置いている研究開発型中小企業が、技術の専有可能性(appropriability)を確保する上で重要な制度である。ただしその一方で、特許権のライセンシング取引や特許権に関する紛争が生じた場合、中小企業は相対的に不利な立場におかれているという考え方もある。ここでは、特許庁による知的財産活動実態調査の特許の実施状況と特許紛争に関するデータを用いて、特許制度と研究開発型中小企業のイノベーションに関する実証分析を行った。

特許の自社保有特許の実施については、企業規模が小さく企業年齢が若い企業は、自社実施割合が低く、他社実施割合が高いことが分かった。逆に、他社の特許の自社への実施については、大企業と比べて活発に行っていないという結果になった。経営資源の乏しい中小企業が、研究開発の成果を自前で実施して企業利益につなげていくことが困難であるため、他社へのライセンシングを活発化していることが現れている。特許制度はこのような外部技術マーケットを確立するものとして、特に経営資源に乏しい中小企業にとっては重要なものであるということができる。

また、特許紛争に関する分析の結果、企業規模が小さく、企業年齢の若い企業ほど紛争確率が高くなっていることが分かった。特許権実施に関する分析結果に見たように、中小企業は特許の他社へのランセンシングを積極的に行っていく必要がある。従って、特許紛争に巻き込まれる確率は自ずと高まるということが考えられる。今回の分析結果では、特許の質についてのコントロールができなかったが中小企業がライセンス交渉において弱い立場にある可能性を示唆している。


1.        問題意識

 日本のイノベーションシステムは、大企業を中心とした自前主義の傾向が強いことが特徴であると言われているが、大企業においても研究開発に関する外部連携を強化する方向にある。また、このところ産学連携の動きが研究開発型の中小企業に広まりつつあり、ネットワーク型のシステムへの変革への兆しが見られている(元橋、2003)。特にITやバイオテクノロジーのような技術革新が急速に進むハイテク分野においては、技術市場を通じた研究開発に関する外部連携を有効に活用することの重要性が高まっている(Arora et al., 2001)。ネットワーク型のイノベーションシステムにおいて、”agent of change”としての研究開発型中小企業の果たす役割は大きい(Audretsch, 1999)。ここでは中小企業(特に研究開発型ベンチャー企業)のイノベーションを活性化させるための特許制度のあり方について検討することとする。

 知的財産制度は、外部技術市場の形成には不可欠のものであり、研究開発から製造、マーケティングまでのバリューチェーンを自社リソースで行うことが困難な中小企業にとって意義は大きい(Hall and Ziedonis, 2001)。しかしその一方で自社にパテントポートフォリオが小さくクロスライセンスを有効に使えない中小企業はランセンス交渉において不利な立場に立たされていると考えられる。また特許紛争に対する社内リソースも小さいことから、紛争処理においても相対的に不利な立場にあると言われている(Lanjouw and Schankerman, 2001, 2003)

 これらの知的財産制度が中小企業のイノベーションに与える影響に関する議論は主に米国における実証分析をベースとしたものであるが、ここでは知的財産活動実態調査(特許庁)の個票データを用いて日本における現状について分析することとする。知的財産活動実態調査(以下、「知財調査」と呼ぶ)では、企業における特許の保有、利用状況の他、特許に関する紛争の状況に関する調査も行われている。以下、まず特許の保有とその実施状況について企業規模、創業年、技術分野に見ることとする。次に特許にかかわる警告や訴訟に関するデータを用いて、特許紛争における中小企業の交渉力に関する分析を行う。最後にこれらの分析結果を通じて特許制度とハイテクベンチャーのイノベーションに対するインプリケーションを述べるとともに、データ利用者の立場から今後の知財調査にあり方についても触れたい。

 

2.        特許の保有と利用に関する企業規模間格差

知財調査においては企業ごとの知的所有権の保有と利用の実態について詳細な調査が行われている。特許制度と中小企業のイノベーションに関する分析を行う上で、特許のライセンスの形態(有償、クロスライセンス又はパテントプール)や他社権利の実施許諾状況に関する情報は貴重である。ここではまず、企業規模別、創業年別、技術分野別にみた特許保有、利用の状況についてみることとする。なお、企業の技術分野別分類については、出願(予定)特許の技術分野別分布に関するデータを用いた。詳細については、別添の付注を参照されたい。また、データのサンプルとしては、@付注の方法によって技術分野を決めることができ、A自社で保有している特許が存在し、かつB従業員数と創業年に回答がある3316企業である。

結果については表1のとおりである。特許利用の状況については、調査項目を用いて以下のとおり指標化したものを用いている。

    JITA:他社権利の自社実施を行っているか否か(ダミー変数)

    JITAR自社特許利用件数/(自社特許利用件数+他社権利実施件数)

     (自社特許利用件数=自社排他的実施・自社権利数+他社への実施自社権利数)

    JISHA:自社実施件数/特許所有件数

    HAITA:自社で排他的に実施している自社権利数/特許所有件数

    JISSHI:自社の他社への実施件数/特許所有件数

    MIRIYO:未実施特許の割合(1−HAITAJISSHI

    GAI:外国企業への実施件数/他社への実施特許数

    CROSS:クロスライセンスによる他社への実施件数/他社への実施特許数

    YUSHO:有償で他社へ実施している件数/他社への実施特許数

    POOL:パテントプールによる他社への実施件数/他社への実施特許数

 

(表1)

 

まず、企業規模が大きくなるほど自社特許を他社へ実施する割合(JITA)が高くなり、自社で実施している特許のうち自社特許の割合(JITAR)が低くなる。一方で企業年齢(創立年)との関係については、はっきりした傾向が見られない。自社で実施している特許の割合(JISHA)と自社で排他的に実施している特許の割合(HAITA)については、30人以下の企業を除いて企業規模が大きくなるほど下がる傾向にある。逆に未実施特許(MIRIYO)の割合は規模が大きくなり、会社年齢が高くなるほど大きくなっている。このように、企業規模が大きくなると自社特許の実施率が下がると同時に他社権利を利用する割合が高くなるといった傾向が見られる。

他社への権利の実施形態については、企業規模が大きくなると外国への実施許諾割合(GAI)やクロスライセンス割合が(CROSS)高くなるが、有償によるライセンスの割合(YUSHO)やパテントプールを用いる割合(POOL)については際立った傾向が見られない。また、企業年齢については、企業規模と比べて全体的に明確は傾向が見られないということが分かる。

また、技術分野との関係について特徴的な点を取り上げると、「電子素子」、「医薬品」、「光学」において他社特許がより多く活用されている。これらの技術分野については自社特許の他社への実施割合も高くなっており、研究開発において特許のランセンシング戦略が比較的重要であるということがいえる。ただし、「医薬品」分野については他社への実施権利数のうちクロスライセンスを使う割合が低く、有償でライセンシングを行う割合が高くなっている。その一方で「電子素子」分野や「制御」分野はクロスライセンシングを多く用いている一方で有償の割合が少なくなっており、対価を伴わないクロスライセンシングを用いるケースが多いことを示している。

このような企業規模、企業年齢及び技術分野による特許利用の状況をより詳細に見るために、特許利用に関する各指数を被説明変数として、以下の変数を説明変数とする回帰分析を行った。なお回帰分析モデルは、JITAについてはnegative binominalモデルでそれ以外の変数については両端切断型Tobitモデルを用いた。

    EMP:企業規模(従業員数の自然対数)

    AGE:企業年齢(年の自然対数)

    EMPAGEEMPAGEの交差項

    OYA:親企業の有無に関するダミー変数

    KO:子会社の有無に関するダミー変数

    PATSIZE:パテントポートフォリオの大きさ(所有特許の自然対数)

    TECHHT:企業の出願特許技術分類(8分類)に関するハーフィンダール指数

    企業の技術分類に関するダミー変数:「食品」を基準

結果については表2のとおりである。

 

(表2)

 

まず、企業規模及び企業年齢との関係であるが、規模が大きくなるほど、年齢が高くなるほど他社からの実施をより受け、自社特許の利用割合が低くなるという関係が確認できた。また自社保有特許の実施に関しては、規模の大きい企業では自社実施率が高くなり、小さい企業では他社実施率が高くなるという結果についても表1と同様の結果となった。技術分野やその他の要因をコントロールしたことによって企業年齢との関係が表2ではより明確になっている。また、これらの分析結果においてempage(企業規模と企業年齢の交差項)の係数は企業規模、企業年齢それぞれの係数の符号と逆になっていることに留意する必要がある。例えばJISSHIに関する分析結果では、企業規模が大きくなるほど他社実施割合が高くなっているが、その影響は企業年齢の若い企業でより大きいことを表している。(企業規模による他社実施割合の影響=−0.120.02AGE、つまりAGEの大きい企業においてはマイナスの絶対値が小さくなる)また、企業年齢の影響について見ると、企業規模の小さい企業でより大きな影響があることを示している。(企業年齢による他社実施割合の影響=−0.140.02EMP)つまり、企業の成長パターンを考えると規模と年齢は通常正の相関関係があると考えられるが、これらのJITAJITARJISHAJISSIなどの与える影響については比較的若く、規模の小さい企業については当てはまるが、ある程度の規模に達するとその影響は小さくなっていくということである。

PATSIZEは企業そのものの大きさというより、企業におけるパテントポートフォリオの大きさを示している。JITA及びJITARについては企業規模(EMP)と同符号となっているが、JISHAJISSHI及びHAITAについては逆の符号となっている。例えば企業規模が大きくなるほど自社実施割合(JISHA)が高いが、パテントポートフォリオが大きくなると自社実施割合が下がる。ちなみに他社実施割合(JISSHI)についてはその逆の結果となっている。企業規模が小さく企業年齢が若い企業においては、自社のリソースで製造、販売までバリューチェーンすべてに対応することは困難であることから、研究開発成果を他社に実施する傾向が高まると考えられる。その一方でパテントポートフォリオが小さい企業は他社に実施する特許の数が限られており、他社への実施割合が下がることが考えられる。また、TECHHTの影響について見ると、パテントポートフォリオが特定分野のフォーカスされている(TECHHTが大きい)企業においては、他社への実施割合が小さくなり、自社での実施割合が高くなっている[1]。企業が研究開発を行う際に、自社活用分野にフォーカスするか他社へのライセンシングも睨んだ幅広いものとするかといった企業戦略の違いが現れていると考えることができる。

他社へのライセンシングを行う際のその形態については、EMPといった企業の一般的な規模には影響を受けていない。その一方でパテントポートフォリオの大きさは他社への実施権利数に占めるクロスランセンシングの割合と正の関係が見られる。この関係は、パテントポートフォリオが大きいとクロスライセンスの相手において必要な特許が含まれる確率が高くなることによると考えられる。研究開発のフォーカス(TECHHT)については、有償による実施割合と負の関係が見られる。その一方でクロスライセンシングの係数は、統計的に有意ではないものの正である。TECHHTを求めるために用いた技術分類は12分野と粗いものであることから、1つの分野に集中するほど特定分野におけるパテント密度が高くなり、クロスライセンシングが行いやすいと考えることができる。逆に他社へのライセンスを睨んだ多角化戦略をとっている場合は、有償でランセンシングを行う傾向が強く現れると考えられる。ただし、この点については、より詳細はデータを用いて更なる検証を行うことが必要である。

 最後の技術分野と特許の実施方法の関係であるが、「医薬品」分野については、他社の特許をより多く活用するとともに、自社特許のライセンス活動を活発に行っているという傾向は、企業規模等をコントロールした上でも見られている。その一方で自社における特許実施割合が高いのは、「ビジネス方法」、「制御」、「光学」、「機械」などである。また、「電気素子」については、自社割合等について特段の特徴は見られなかったが、クロスライセンスによる他社の割合が高いという結果になっている。

 

3.        特許紛争の実態と企業規模間格差

 知財調査においては、知的財産権に関する警告や訴訟の件数に関する調査を行っている。ここでは特許に関する紛争の実態について企業規模間格差に焦点を置いて見ることとする。なお、知財調査では直近の会計年における知的財産権の紛争について、@警告件数と訴訟件数、A国内権利か外国権利か、B国内企業か海外企業か(海外企業については米国、欧州、アジア及びその他)、C「訴える」側(原告)か「訴えられる」側(被告)かのマトリックスで調査を行っており、特許権だけでも2×2×5×240の調査項目となっている。平成14年調査でそれぞれの項目において該当ありとしたサンプル数は以下のとおりである。[2]

 

 

 

 

 

 

3:該当するケースがあると回答したサンプル数

 

このように項目によっては該当者がごく少数しか存在しないものがあり、分析を行う際には注意を要する。ここでは、相手企業の種別(国内か外国)にかかわらず、@警告か訴訟か、A国内特許か外国特許か、B原告か被告かの8通りに集計して分析を進めることとする。まず、それぞれについて該当ありとした企業数の割合を企業規模別、設立年別、技術分野別に集計した結果を表4に示す。

 

(表4)

 

まず、警告については、国内特許で原告のケース以外については、企業規模が大きくなるほど該当件数が増加するという傾向が見られる。また企業年齢が高くなることによって同様の結果となっている。技術分野別に見ると「電子素子」においてやや高い割合となっており、「ビジネス方法」において低くなっているなどの傾向が見られる。「医薬品」についてはそれほど高い値となっていない。

また、訴訟については件数が少ないため傾向を読み取ることは難しいが、警告の場合と同様に国内特許で原告となるケース以外は規模や企業年齢と正の相関関係が見られる。技術分野別には、際立った傾向は見られない。

このように集計表からは傾向を読み取ることは困難であることから、8通りのそれぞれのケースについて紛争件数合計を被説明変数とし、以下の変数を説明変数とした回帰分析を行った。なお、モデルはnegative binominalモデルである。

    EMP:企業規模(従業員数の自然対数)

    AGE:企業年齢(年の自然対数)

    EMPAGEEMPAGEの交差項

    IPEMP:知的財産部門の従業員数の自然対数

    PATSIZE:パテントポートフォリオの大きさ(所有特許の自然対数)

    TECHHT:企業の出願特許技術分類(8分類)に関するハーフィンダール指数

    企業の技術分類に関するダミー変数:「食品」を基準

結果については表5のとおりである。

 

(表5)

 

 まず、回帰分析によって明らかになった点としては、表4で見られた企業規模と特許紛争の相関関係は主にパテントポートフォリオの大きさによるものであることが挙げられる。自社保有特許数が多いほど特許紛争の原告や被告になる確率が高いことは自然である。パテントポートフォリオの大きさをコントロールすると、企業規模の大きい企業は特許紛争の被告になる確率が高く、一方で企業規模の小さい企業ほど訴える側になることが多いという結果が示された。この傾向は特に国内権利について顕著である。また、企業年齢は特許紛争との関係は見られないが一部で企業規模との交差項に統計的有意な係数が見られる。国内特許・警告・原告のケースについては、企業年齢が高いほど企業規模と紛争の逆相関関係が高まること、国内特許・警告・被告のケースについては、逆に企業年齢が低いほど企業規模と紛争の正の相関関係が強まることを示している。

 今回の回帰分析においては、知財部門における担当者数(IPEMP)も説明変数の1つとして加えている。IPEMPは紛争と概ね正の相関関係があることが観察されるが、これは特許紛争の多い企業においては知財部門を強化しているという逆の因果関係によるものである可能性がある。なお、知財部門が充実している大企業は、中小企業と比べて特許紛争における交渉力が高いと考えられることから、被告としての特許紛争に巻き込まれにくいという議論も存在するが(Lanjouw and Schankerman, 2001)、ここでは逆の結果となっている。また、研究開発のフォーカス度(TECHHT)については、外国特許に関する紛争(原告、被告とも)と正の相関関係が観察される。前節で見たように研究開発のフォーカスが強い企業においては、特定分野における特許密度が高くなり、当該分野での特許紛争に巻き込まれやすいという可能性がある。ただしこの点については、ハーフィンダール指数を算出するための技術分類が十分に細かくなると逆の結果になることも考えられ、今後より詳細な分析が必要である。最後に技術分野ダミーについては、際立った特徴が見られないという結果に終わった。

 米国においては、特許紛争の個々のケースに関するデータベースを用いた詳細な分析が行われている(Lanjouw and Schankerman, 2001, 2003)。その結果については以下のようにまとめることができる。

    企業規模が大きくなるほど1特許あたりの特許紛争の確率が低い。

    企業のパテントポートフォリオが大きくほど特許紛争の確率が低い。この傾向は企業規模の小さい企業ほど強い。

    パテントポートフォリオの相対的な大きさ(引用される特許保有企業の大きさをベースとした)が大きくなると紛争確率が低くなる。

    当該特許の技術分野における集中度(少数の企業によって保有されている)が高いほど紛争確率が低くなる。

    クレーム数の大きい特許ほど紛争の確率が高い。

    引用される特許数(forward citation)が大きい特許は紛争の確率が高い。

    引用している特許数(backward citation)が大きい特許は紛争の確率が低い。

この分析結果は紛争の対象となった個々の特許に関するデータベースから導かれたものであり、知財調査を用いて行った企業レベルの分析と直接比較することはできない。しかしながら、知財調査における紛争の件数がそれぞれ1つの特許に対するものであると仮定して、紛争件数を各社の保有特許数で割ったものを紛争確率の代理変数とすると同種に分析が可能である。表6はこの紛争確率に関する代理変数をpatsizeを除く表5の説明変数で回帰分析を行った結果である。なお、モデルはOLSで、それぞれの特許紛争において1件以上のケースがあるサンプルのみを対象として推計している。

 

(表6)

 

 まず、企業規模と紛争確率は負の相関関係をもち、Lanjouw and SchankermanL&S)の結果と同様の結果が見られる。L&Sは、この関係を@trading(企業規模が大きいとクロスライセンスなどで特許のtradeを行いやすいため紛争にいたる確率が低くなる)及びArepeated interactions(規模の大きい企業ほど紛争を起こす潜在的な相手との交流が密接であり紛争にいたる確率が下がる)によるものとしている。今回の分析では、企業年齢が高くなると紛争確率の低下が見られ、repeated interactionsに関する仮説と整合的な結果となっている。また、tradingについてはパテントポートフォリオの大きさを被説明変数として使ったためここではテストできなかったが、第2節の分析におけるパテントポートフォリオが大きい企業は自社特許の他社実施にあたってクロスライセンスをより多く用いているという結果と整合的である。

 パテントポートフォリオの相対的な大きさと特許紛争の関係については、パテントポートフォリオが大きい企業はライセンシングの交渉力において紛争に至る前に有利な実施条件で契約を締結できると考えられる。従って、原告として特許紛争にいたる確率が小さいというロジックである。今回の分析では、特許紛争の相手を特定することができないため、この仮説を直接テストすることはできないが、原告の場合と被告の場合で非対称的な影響が考えられる仮説として興味深い。警告において企業規模との負の相関関係が、原告の場合統計的有意であるのに対して、被告の場合は有意ではないという結果はこの仮説をサポートしている。ただし、訴訟の場合は同様の結果となっていなこと、原告と被告の非対称性についてはその他の様々な要因が考えられ、より詳細な分析を待つ必要がある。例えば、第2節の分析結果から、自社で製造、販売までの経営資源を有しない中小企業は、大企業と比べて保有特許の他社実施割合が高いということが分かった。このような中小企業は大企業と比べて、他社に対して警告を発することが、警告を受ける確率より高くなると考えることは自然である。

 L&Sでは、特許の質(クレームの数やサーテーション数)が紛争確率に与える影響を分析しているが、今回、同様の分析を行うことは難しい。ただその一方で、企業レベルのデータを用いることによってL&Sでは考慮されていない点について分析することが可能である。1つは知財部門の人員数についてであるが、警告を発する件数と正の相関関係が見られた。その一方で被告になる場合は統計的有意ではないものの係数は負となっており、特許のライセンシングを積極化する企業戦略が特許紛争の件数に影響を与えることを示している。また、企業の研究開発のフォーカス度が、特許紛争の原告の場合負の相関関係があり、被告の場合正の相関関係があることも興味深い。ただし、表5で示した紛争件数を説明変数とする分析結果では、原告の場合も正となる場合が見られ、より詳細な分析を必要としている。

 

4.結論

本論文では、知財調査の個票データを用いて、特許の実施状況や特許紛争に係る実態について、企業規模の違いにフォーカスしながら分析を行った。特許の自社保有特許の実施については、企業規模が小さく企業年齢が若い企業は、自社実施割合が低く、他社実施割合が高いことが分かった。逆に、他社の特許の自社への実施については、大企業と比べて活発に行っていないという結果になった。経営資源の乏しい中小企業が、研究開発の成果を自前で実施して企業利益につなげていくことが困難であるため、他社へのライセンシングを活発化していることが現れている。特許制度はこのような外部技術マーケットを確立するものとして、特に経営資源に乏しい中小企業にとっては重要なものであるということができる。

また、クロスライセンスや有償実施などの実施の形態については、従業員数で見た一般的な企業規模や企業年齢の影響は小さくなり、保有特許数(パテントポートフォリオ)の大きさが重要はファクターとして現れることが分かった。例えばクロスライセンスを使う割合はパテントポートフォリオの大きさと正の相関関係がある。分析結果からは規模の小さい企業でも大きなパテントポートフォリオを持てば大企業とのクロスライセンスも可能であるということができるが、クロスライセンスはお互いに特許を実施する場合に成立するので、やはり自社において製造や販売など部門を持つことが必要となってくる。従って、研究開発型の中小企業にとっては、有償でのライセンス取引が公正に行う環境が整っているかどうかが重要であるということができる。

そこでライセンシングの交渉において中小企業が不利な立場に立たされていないかという点についての検証が必要になってくるが、第3章では特許権に関する警告や訴訟に関するデータを用いた分析を行った。紛争の件数を被説明変数とするモデルでは、企業規模やパテントポートフォリオが大きい企業ほど、警告や訴訟件数が多いという結果になった。紛争の対象となりうるパテントポートフォリオが大きいと、紛争数が増加するのは自然の帰結である。従って、追加的な分析として、紛争件数を企業の特許所有件数で割った特許1件あたりの紛争確率を被説明変数とするモデルを推計した。その結果、企業規模が小さく、企業年齢の若い企業ほど紛争確率が高くなっていることが分かった。特許権実施に関する分析結果に見たように、中小企業は特許の他社へのランセンシングを積極的に行っていく必要がある。従って、特許紛争に巻き込まれる確率は自ずと高まるということが考えられる。また、今回の分析結果では、特許の質についてのコントロールは行っていないという問題も存在する。しかしながら、この結果は、L&Sでも指摘されているように中小企業がライセンス交渉において弱い立場にある可能性を示唆している点で重要である。

この点については、L&Sでも行われているように特許紛争のケースをより詳細に分析していくことが必要である。また、ライセンシングの交渉において中小企業が不利な立場に立たされているとすると、中小企業はそれを織り込んで研究開発を行っていることが考えられる。中小企業は、特許紛争がおきやすい技術領域を避けて研究開発を行っているという研究結果も存在する(Lerner, 1995)。イノベーションのプロセスにおいて、既存技術の組み合わせが重要となるcomplexityが高い技術領域については、中小企業の相対的なバーゲニングポジションの低下がより顕在化することが考えられる。技術領域別の詳細は分析を行うことによって研究開発戦略とランセンシングの実態を明らかにしていく必要がある。

最後に、今回のリサーチプロジェクトは、知財調査の個票を用いたパイロットスタディという位置づけとなっているので、今後、知財調査を行うにあたって改善すべき点について述べたい。企業活動基本調査など、他に企業の知的財産活動に関する調査は存在するが、知財調査は既存の調査と比較して格段に詳細な情報を提供し、分析を行う上での非常に有意義な統計であるということができる。しかし、詳細な調査を行うことは、その一方で回収率やデータ精度を損ねる危険性があることを認識することが重要である。

今回、分析に活用したセクションにおいて、特に知的財産権侵害に関する項目は過度に詳細である可能性がある。特許権に関するデータを見ると(表3)、項目が詳細すぎるため該当企業件数が極端に小さくなっている。表3では、元データにおいて対外国企業が4つの地域別に分割されているものを1つにまとめたが、それでも該当件数が数件という項目が存在する。トレンドについては、集計されたもののみとして、その他の詳細な情報は数年分をまとめて周期的に調査するとかの工夫が必要だと考える。また、同様のことは特許の出願実績と見込みの技術分類についても言える。例えば各年のトレンドは集計されたもののみにして、技術分類は、2004年まで3年間の合計を記入してもらうなどの工夫が必要であると考える。

 

参照文献

 

元橋 一之(2003)「産学連携の実態と効果に関する計量分析:日本のイノベーションシステム改革に対するインプリケーション」、RIETIディスカッションペーパー03-J-0152003/11、経済産業研究所

Audretsch, D. (1999), Small Firms and Efficiency, in Are Small Firms Important?: Their Role and Impact, Z. J. Acs ed, Kluwer Academic Pub

Arora A., A. Fosturi and A. Gambardella (2001), Markets for Technology: The Economics of Innovation and Corporate Strategy, MIT Press Cambridge MA

Hall B. and R. Ziedonis (2001), An Empirical Study of Patenting in the US Semiconductor Industry, 1979-1995, Rand Journal of Economcs, Vol. 32, No. 1 pp. 101-128

Lanjouw, J. O. and M. Schankerman (2003), Enforcement of Patent Rights in the United States in, Patents in the Knowledge-Based Economy, National Academy of Sciences, Washington DC.

Lanjouw, J. O. and Mark Schankerman (2001) “Characteristics of Patent Litigation: A Window on Competition,” The Rand Journal of Economics. Vol. 32, no. 1, pp. 129-51.

Lerner, J. (1995),Patenting in the Shadow of Competitors, Journal of Law and Economics, vol. 38, pp. 463-96


表1:自社保有特許の実施の状況

 

 

 

表2:特許実施状況に関する回帰分析結果

表4:特許紛争に関する状況(該当ありとする企業の割合)


表5:特許紛争に関する回帰分析結果(1)

   被説明変数:それぞれの特許紛争の数

 


6:特許紛争に関する回帰分析結果(2)

被説明変数:それぞれの特許紛争の数/所有特許数

(特許紛争のあるサンプルのみを抽出)


付注:特許データに基づく技術分類

 

本研究では、企業のイノベーションにおける知的財産制度の役割について分析を行うことを目的としているため、研究開発の技術分野に基づく分類を用いて企業格付けを行った。「知財調査」においては、特許出願について2001年の実績件数と2002年から2004年までの見込みを12の技術分野ごとに調査している。なお、出願先としては、国内出願の他、米国特許、EPC出願についても技術分野別のデータが入手可能である。

企業の技術分類は、この技術分野別出願動向に関するデータを用いて行ったが、その格付けについては以下の方法で行った。

@      2001年実績から2004年見込みまでの特許出願件数を技術分野別に集計する。国内出願、米国出願、EPC出願のすべてを合計した件数で最も多い技術分野に当該企業を格付ける。

A      上記の方法で2つ以上の技術分野が同数でトップになる場合については、国内出願の数を用いて格付けを行う。

技術分類として企業が行う研究開発の分野を示すものとするために、出願予定の特許もすべて合計したもので格付けを行った。また、国内特許と米国、EPC特許を単純に合計すると同一の技術を重複して計上するという問題点がある。しかしながら、国際出願は国内出願と比べて大きなコストを伴うものであることから、国際出願を行った(又は予定している)研究開発はより質の高いプロジェクトであるということができる。従って、ここでは国内特許のみによる技術分類ではなく、国際出願も含めたものとした。なお、国内特許のみによる分類と国際出願も含めた分類は、結果的にはほぼ一致することが分かっている。

上記の方法によって作成した技術分類と産業分類の対応表(企業数ベース、特許数ベース)を付注−表に掲げた。一部の業種を除いて、1つの業種に属する企業(特許)が多くの技術分野に分散しており、技術分類を新たに設けて分析を進めることの重要性を示している。

なお、技術分野別の特許数を用いて企業の技術分野格付けを行うと同時に、技術分野別の特許数シェアによるハーフィンダール指数を算出し分析に用いている。


付注−表:産業分類と技術分類の対応表



[1] TECHHTは、直近の出願特許と今後4年間に出願を予定している特許の技術分類から算出したものであることから、企業の保有している特許ポートフォリオより、むしろ企業の研究開発プロジェクトのポートフォリオと考えた方が適当である。ここでは企業における研究開発戦略(フォーカス型か多角化型か)がtime invariantであると過程して、その戦略と保有している特許の実施状況についての関係について分析を行っている。

[2] 外国企業に関する地域別分割は1つにまとめた。なお、原データにおいて未回答と0件であるとの回答の識別ができないため、以下の分析において未回答企業の0として取り扱っている。